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 人間の長い歴史のなかで、「触れる」「触れられる」ことは、その進化にかかわらず、ほとんどの人たちが経験した、子どもの「発達」に欠かせない基本的行為であると言われています。さらに近年は、専門家により、その生理的、精神的そして社会的効果が明らかにされてきています。
 私たちはこの基本的でかつ、専門的な「触れる(タッチ)」ケアの一つである「セラピューティック・ケア」を英国赤十字社から秋吉名誉理事長に託され、日本で活動している唯一の認定NPO法人です。
 志を同じくする全国の会員が「すべての人々に尊厳と幸せを」を理念とし、被災地へ、ホスピスへ、高齢者介護施設、子育て支援の現場へと、まさに老若男女の方々へ、手のぬくもりを通じて「心のぬくもり」を届けています。そして、何よりもこの活動で、私たちが「心のぬくもり」をいただいています。
 是非、私たちと一緒に、「心のぬくもり」を体感して下さい。一人でも多くの皆さまが私たちと感動を共感する体験者になっていただけるよう、お待ちしています。

プロフィール
東京都出身。 セラピューティック・ケア協会講師、Complementary Therapist(CT)。
公認心理師。高齢者や認知症、障害児に関する民間資格保有。
結婚後は英語教員の資格を生かし、英語塾の講師や航空会社の海外駐在員の支援員に。
高齢者介護施設の責任者を任された50歳過ぎから、大学院で心理学を学び直す。
生涯教育と考え、修士取得後、現在も博士課程に在籍中。
自然と音楽・動物が大好きで、3匹の犬と同居している。




「ミセス秋吉、あなたにこのケアを託すわ」
 それが、私が初めてセラピューティック・ケアに出逢った1999年9月、このケアの考案者のお一人であるサイアン・スコット女史から、テキスト一式と共にことづけられた言葉でした。
 スコット女史からは、その前年に当時の美智子皇后が英国赤十字社を訪問された際にセラピューティック・ケアを学ばれたこと、「日本国民がこのケアを知ったらどんなに喜ぶ事でしょう」とおっしゃられたこと、それ以降で最初にレクチャーを受けた日本人が私だということもお聞きしました。そして、ぜひこのケアを日本でも広めてください、と。
 それから20年。日本ではゼロからのスタートでしたが、これまでに北海道から沖縄まで、セラピューティック・ケアの講座や講習を通して50,000人以上の方々との出会いがあり、今では日本中に広がりました。生老病死すべての場面でケアが取り入れられ、喜んでいただいています。
 新理事長の城戸と手を携え、これからも会員一同、笑顔に出会う喜びを心の糧として、手の温もりを届けてまいります。

プロフィール
1938年 佐賀県生まれ、佐賀県出身。
福祉コーディネーター(放送大学)、保育士資格保有。
セラピューティック・ケア協会の講師代表として各種講演・講習を行い、人材育成や普及啓発、小中学校の福祉体験授業支援に努めるほか、子育て支援にも力を注ぐ。
2020年11月 令和2年度 太宰府市市民活動賞受賞(社会福祉への尽力)

○福岡県レクリエーション協会理事
○太宰府市環境審議会委員
○日本ホスピス在宅ケア研究会会員
○日本認知症ケア学会会員
○日総研通信講座セミナー講師
○一般社団法人 日本健康心理学会準会員
個人Facebook https://www.facebook.com/michiyo.akiyoshi.3

著書
○ 「ほほえみに出会いたくて ~ビューティーケア 輝きながら老いるために~」(新風舎/1999年)
○ 「~英国発セラピューティック・ケア~ 両手で伝えるやさしいコミュニケーション」(木星舎/2003年)
○ 「手のぬくもりは心のぬくもり セラピューティック・ケア 出会いのドラマ」(木星舎/2013年)


理事長交代のお知らせ
詳しくはこちらをご覧ください。


秋吉美千代×城戸由香里 スペシャルトーク Long Ver.(全6回)

目次

〉 第1回:理事長交代の背景
〉 第2回:初代理事長として、これまでの歩みを振り返って
〉 第3回:理事長になって1番驚いたこと
〉 第4回:新しい体制で取り組みたいこと
〉 第5回:事例とエビデンス
〉 第6回:ケアを持続することで効果があがる

第2回:初代理事長として、これまでの歩みを振り返って

—– 秋吉先生は前身の任意団体「セラピーケア・ネットワーク」(2002年4月設立)から通算すると、18年にわたって団体の代表を務めてこられたわけですが、特に心に残っていることを教えてください。

秋:実は「セラピーケア・ネットワーク」の前にも、日本赤十字社福岡県支部特殊奉仕団に所属する「福岡県ビューティケア赤十字奉仕団」というボランティア団体で5年ほど活動していて、私はその代表もしていたんですね。

でも、さらに心のケアを深めて、全国に、いや世界中に広めたいと思ったので、特殊奉仕団から分離して「セラピーケア・ネットワーク」を立ち上げたわけですね。それで、その後何年かは2つの団体の両方で代表をしていました。

ネットワーク設立の時に赤十字奉仕団の仲間も何人か連れてきたんですが、ボランティア活動先は同じだったから、「来週どこどこにいくんだけど、来てくれる?」って電話をした時に「セラピーケア・ネットワークでの活動ですか?赤十字奉仕団の方ですか?」って聞かれたんですね。それで「今日はセラピーケア・ネットワークよ」って言うと、上手にお断りされて。でも、赤十字奉仕団の方のボランティアだと言うと来てくださる。

城:うーん。

秋:その時、「日本赤十字社福岡県支部のボランティア」と、「民間の何か分からないボランティア」

の違いを嫌というほど体験しました。で、これは自分が持っている団体をなんとか法人化をして確かなものにしなくてはならない。その時、本当に気づきをいただいたんですね。

いろいろ周りに聞いたら、株式会社とか有限会社とか勧められました。でも申し訳ないけど、お金儲けはできない。まず私、集金ができない人なんです、恥ずかしながら。

では、赤十字で何年もボランティアの勉強をしてきたんだから、ボランティアで法人化できないのかなと思ったときに、あの頃(2004年ごろ)、タケノコのようにNPO法人が誕生していたんです。一般社団法人よりはNPO法人だったんです。それで、夜間にあっていた「NPO設立の勉強会」に通って勉強して、NPO法人を立ち上げることにしたんです。

城:そうだったんですね。

秋:でも、そこにはもう一つ理由があったんです。

『いいんじゃない、死ぬまで(私が代表を)やれば』という声も耳にしていました。でもそれでは私が死んだ時にセラピューティック・ケアがなくなる。私はともかく、セラピューティック・ケアだけは後世に残したいという思いが大きかったんです。これは信頼すべきスキルなので、やっぱり法人格が必要だったんです。

それで法人をとったら、今度は認定NPO法人を目指したいなと思うようになりました。それは、私と一緒に歩いてくれる会員さんに私を突き動かす力があったからなんです。素晴らしい人たちが仲間としてボランティアをやってくれているんですね。

それで、その人たちのためにもと、書類などの審査が本当に大変でしたが、無事に取得することができました。もくもくとボランティアを続けてきてくれた会員さんの力でここまで来たんだなという思いがあります。

城:2014年ですね。福岡県の決定による1番はじめの認定NPO法人になれました。

—– 理事長から名誉理事長になられて、どんな変化がありましたか?

秋:以前は人前で挨拶をしたり、文章依頼がいっぱい来て、それに追われてたところがありました。

今は気分的に縛りがなくなって、その分、城戸さんに負担がいっているかと思うんですけど。でも彼女の文章も素晴らしいし、心配したこともない。読んで「さすがだね」と感心することしきり。私が今84歳でしょ、年齢的に私よりひと回り以上も若いから、安心してお任せしています。

もう文章とか書かんでいいから、その時間を会員さんたちにぬくもりのある情報を伝える時間にあてたい。

『私に出会ったことを誇りに思います』って言ってくださる方もいて、そういう時は涙が出るほど嬉しいです。だって私、太宰府の普通のおばちゃんよって思いますから。もったいないなって思うんだけど、もったいないって思う前に、それに相応しい人間になろうと思って努力をすると自分が徳をするって思うんです。謙虚になれるし、いつも学びたいなって思うとモチベーションは下がらない。

今はコロナ話題で触れることも対話することも、うちの一番のミソのところが出せないでいますけどね、逆にものすごくその大事さを知ったと思うんですよ。だからこれから出番が来たら、忙しくなると思いますよ。

 

(収録日:2022年3月16日/ 聞き手:水上)